漫才師名鑑

漫才師を紹介します。

【はんぱねぇ渋谷系漫才】トータルテンボス

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(左)藤田憲右 (右)大村朋宏

1997年結成。吉本興業所属。

 

【受賞歴】

2006年 元気ハツラツぅ? CMバトル優勝


2007年 M-1グランプリ準優勝


2008年 爆笑オンエアバトル第10代チャンピオン


2009年 爆笑オンエアバトル第11代チャンピオン


2009年 S-1バトル月間チャンピオン(3月・5月)


2010年 爆笑オンエアバトル第12代チャンピオン)


2010年 S-1バトル殿堂入り(ラウンド2)

 

トータルテンボスの漫才】

大村が「いきなりで恐縮だけど、俺やってみたい職業があるんだけどご存知?」と言い、藤田がそれに対し「存知ねぇよ」と突っ込み、ネタの設定となる職業を発表するお約束のくだりから始まるコント漫才

「はんぱねぇ」をはじめとする若者言葉を多用するため「渋谷系漫才」とも呼ばれる。

 

【エピソード】

・ハイライト

初期の頃の漫才では最後に「今日のネタのハイライト」と称して漫才の一番の見せ場をもう一度スロー演技で再演するというくだりをやっていたが、2005年以降辺りから全くやらなくなった。やらなくなった。理由としては「当時珍しく大阪でウケたのに、その後自信をもって東京で披露したら怖ろしいほどスベったから」などと語っている。

 

【縦横無尽のルーキー】霜降り明星

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(左)せいや (右)粗品

2013年結成。吉本興業所属。

 

【受賞歴】

2017年 第38回ABCお笑いグランプリ 優勝


2018年 第7回ytv漫才新人賞 優勝 


2018年 M-1グランプリ 優勝


2019年 第4回上方漫才協会大賞 特別賞


2019年 第33回ものまねグランプリ 優勝

 

霜降り明星の漫才】

せいやが舞台を動き回るアクティブなボケと、粗品の体言止めを駆使した「一言ツッコミ」が特徴的なコント漫才

粗品の1人のフリップ芸の発展系であり、本質的にはせいやは動くフリップのような役割である。

 

【エピソード】

・コンビ名

コンビ名の「霜降り明星」は、それぞれが思いついた単語の案を組み合わせてネーミングした(せいやが「霜降り」、粗品が「明星」。せいやは縁起がよさそうということでこの言葉を選び、粗品は自分は暗いので相方に明るい方をやってもらいたいという意味でこの言葉を選んだと当初は述べていたが、本当は粗品が当時好きだったアニメ『瀬戸の花嫁』(テレビ東京)のお気に入りの登場人物である「不知火明乃明星」からとったと述べている。

【ボケの重低音】麒麟

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(左)田村裕 (右)川島明

1999年結成。吉本興業所属。

 

【受賞歴】

2001年 笑わん会優秀賞 


2002年 ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞


2003年 上方お笑い大賞新人賞


2004年 NHK上方漫才コンテスト優秀賞


2004年 NHK新人演芸大賞大賞(演芸部門)


2004年 上方お笑い大賞最優秀新人賞


2005年 上方漫才大賞新人賞


2005年 MBS新世代漫才アワード優勝


2008年 BGO上方笑演芸大賞広告代理賞

 

麒麟の漫才】

川島の低いトーンのシュールなボケを、田村の情熱的なツッコミをそえる。

漫才中のミスに即興で面白くする「アドリブ」でも有名で、M-1グランプリでもツッコミの田村に一発ギャグをやらせるというとんでもないアドリブを披露した。

 

【エピソード】

・ダークホース

M-1出場をきっかけに知名度が飛躍的に上昇した。全くの無名ながら決勝に進出し、大きな爪痕を残した麒麟の功績は非常に大きく、以降の大会で前評判での評価や知名度が低くノーマークで決勝まで勝ち上がってきた漫才師(いわゆる「ダークホース」)は「麒麟枠」と呼ばれるようになった。

【笑いの暴走列車】パンクブーブー

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(左)佐藤哲夫 (右)黒瀬純

2001年結成。吉本興業所属。

 

【受賞歴】

2009年 M-1グランプリ 優勝


THE MANZAI 2011 優勝

 

パンクブーブーの漫才】

ボケの佐藤の話の中に、突如騙しや伏線を散りばめる、計算された漫才。

一つ一つのボケが分かりやすく、黒瀬のツッコミもシンプルなため、老若男女が笑えるのもこのコンビの魅力である。

 

【エピソード】

福岡吉本

上京当時、福岡吉本は「アマチュア集団」「吉本のバッタモノ」など散々な目で見られており、上京したばかりの2人はかなり肩身の狭い思いをしたという。しかし、彼らが芸人間のなかで高い評価を得ていくうちに、東京の芸人やスタッフたちにも福岡吉本に対する偏見が無くなったといい、博多華丸・大吉は2人を「自慢の後輩」と語る。

【ヘビー級の挟み撃ち】サンドウィッチマン

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(左)伊達みきお (右)富澤たけし

1998年結成。所属はグレープカンパニー

同じ高校のラグビー部。

 

【受賞歴】

2007年 M-1グランプリ 優勝(決勝1stラウンド1位、最終決戦1位)


2009年 東京スポーツ 第9回ビートたけしのエンターテイメント賞 日本芸能大賞


2009年 キングオブコント 準優勝(決勝2位

 

サンドウィッチマンの漫才】

「(伊達)世の中興奮する事いっぱいあるけど、一番興奮するのは◯◯だね」「(富澤)間違いないね」のお約束の掛け合いで始まり、展開されていくコント漫才

設定はベタなものばかりだが、創り込まれたボケや、インパクトのあるツッコミは観客を魅了する。

 

【エピソード】

・小島さん

サンドウィッチマンがデビューしてから現在まで、全てのライブに来ている熱狂的ファンの「小島さん」がおり、ファンの中でも知られた存在となっている。単独ライブツアーでは、漫才の冒頭で、東京での初舞台から応援してくれているファンの「小島さん」をいじるのが恒例となっているが、いじる時間が長いために公演時間が長くなりがちで、関係者に怒られることがある。

【岡山の漫才番長】千鳥

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(左)大悟 (右)ノブ

2000年結成。岡山県出身の高校の同級生。

吉本興業所属。

 

【受賞歴】

2004年 ABCお笑い新人グランプリ 最優秀新人賞


2005年 NHK上方漫才コンテスト 優秀賞


2007年 NHK上方漫才コンテスト 優秀賞


2007年 BGO上方笑演芸大賞 メディア賞・ええ漫才ができました賞


2008年 BGO上方笑演芸大賞 イベントタイトル賞


2009年 BGO上方笑演芸大賞 技能賞


2010年 第5回BGO上方笑演芸大賞 大賞


2011年 第46回上方漫才大賞 奨励賞


2013年 第48回上方漫才大賞 大賞


2018年 GQ Men of the Year コメディアン・オブ・ザ・イヤー賞

 

【千鳥の漫才】

岡山弁と関西弁の混合したチンピラのような口調の漫才。

独特なボケに対する「クセがすごい」はノブのツッコミの代名詞ともなっている。

自称「俺流漫才」。

 

【エピソード】

・すべての始まり

高校でのソフトボールの授業中、ふざけて打席でバットを振り回して構えた大悟にノブが「お前ドミニカ出身か!」とツッコみ、それに大悟が興味を持ったことが交友の始まりとなった

 

・コンビ名

大悟とノブは笠岡高校(通称"千鳥")に入りたかったが、入れなかったために憧れて芸名にした

【伝説の名人芸】いとし・こいし

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(左)喜味こいし (右)夢路いとし

1937年結成。2003年夢路いとしの死去によって、解散。

 

【受賞歴】

文部省芸術祭・奨励賞(1967年)


第4回上方漫才大賞・大賞(1969年)


第8回放送批評家懇談会・ギャラクシー賞(1971年)


大阪府民劇場賞・奨励賞(1973年)


第5回上方お笑い大賞・大賞(1976年)


第16回大阪市民表彰・文化功労賞(1981年)


フジテレビ日本放送大賞芸術選奨・功労賞(1984年)


大阪芸術賞(1986年)


花王名人大賞・特別賞(1987年)


第4回上方漫才大賞・特別功労賞(1987年)


第41回日本放送文化賞(1989年)


第43回芸術選奨・文部大臣賞(1993年)


紫綬褒章(1995年)


第27回上方お笑い大賞・演芸文化賞(1998年)


第35回上方漫才大賞・特別功労賞(2000年)


第30回上方お笑い大賞・30周年記念特別賞(2001年)


菊池寛賞(2003年)

 

【いとし・こいしの漫才】

「上方漫才の宝」とも呼ばれるいとし・こいしの漫才は、大阪弁を生かした優しいしゃべくり漫才

人を傷つけるような毒はなく上品なのに、まるで世間話のように自然体。まさに名人芸。

 

【エピソード】

・コンビ名

個人名のいとしとこいしのどちらを先にするかは、ジャンケンできめたらしい。

・順番

いとし・こいしはトリ(その日の舞台で最後に出演すること)を務めようとしないことで有名だった。その理由は2人が、豪快な笑いをとる漫才がトリにはふさわしく、軽快な笑いをとる自分たちはトリにふさわしくないと考えていたことと、トップには上がなく後は下がるだけという理由から2番手を好んだことにある